見えへんけど…。

先日、運転中に白鳳と照ノ富士の大一番がはじまるっつうから

慌てて車を停めてカーテレビにかぶりつく。

えらい長いこと睨みあって、こっちまで力が入る。

で、まあ、白鳳が優勝するんだけど、どこかひっかかる。

ニュースでは「かち上げ」が話題になっていたが、

私がいただけないと強く感じたのは、そう、ガッツポーズである。

これは、残念ながら柔道の試合でもよく目にする。

いやね、ブログとかで批判的なことは良くないとは思うが、

剣道を長いことやってきた私としては、

さすがにこの風潮にうんざりしている。

いや、別にね、スポーツでガッツポーズを見ても何にも思わない。

アメフトをやってたこともあって、むしろ、私自身めちゃめちゃしてた。

ただ、相撲道も柔道もスポーツじゃなくって、「道」なわけ「道」ね、「道」。

これはね、勝利すりゃあええねん!ってもんではないのだ。

なのに、相手を目の前にして「うおりゃあ!」とガッツポーズって…。

もちろん、私には理解のできない苦悩や努力などの背景があって

抑えられない喜びが爆発しちゃって、仕方がないことかもしれない。

だけど、だけど、「道」を歩むものとしては、どうにか抑えてほしいのだ。

小学校の時、剣道の試合で優勝した時でも

「誰も見てないとこで喜べ、トイレとか。しかも、小さくや!」

と、恩師から指導を受けたことは忘れもしない。

当時は、「なんでやねん…」思っていたけど、今ならわかる。

陰徳っていうか、見えない美学っていうか、

剣道をやっていたせいだろう、そういうのが好きやねん、僕。

例えば、男前。

スマホで探し倒してカリスマ美容師にカットしてもらって

めちゃめちゃ恰好よく仕上がった「男前」ってのがある一方

「あんまり上手やないけど、昔から世話になってるから

近所の床屋のおっちゃんに切ってもらってんねん…」なんて

そのおっちゃんを想う心があるって意味では、それも「男前」やん…である。

だけど、まあ、どっちが男前ってなると、後者ではないのだ、見た感じになるから。

なんでや?なんで、もっと内面を見てくれへんねや…世の女性は。

おっと…心の声があふれ出している…

絵に描かれたサイコロだってそうだ!

どれだけ絵が上手な人がリアルに一生懸命描いても半分は見えない。

見えるとこだけでは、サイコロの本質なんてのはわからないってことである。

そう、世の中は、実は見えないもので回っている。

なんてことを綴っているのは他でもない。

今日は、自治会・商店会の会議へ参加させていただいた。

はっきりいって面倒だし、やらなくてもいいかもしれない。

だけど、子供たちが交通事故にあわないのも

お年寄りの方とか、なにかしらの楽しみを企画するのも

誰かに賞賛されることもなく、人知れず集まって

どないか街を良くしようとする方々のおかげである。

かなり年配の方もたくさんいらっしゃって頭がさがる。

コロナ禍でギスギスしているまさに今

大切なのは、見えていないものへの感謝かもしれない…。

追記 オリンピックの柔道ではせめて礼が終わるまで

             ガッツポーズを封印してほしい!と切に願う

2021/07/20

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